奈良の木のこと > マガジン > 知る > 木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い
木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

2022.01.20

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

瀬戸内海に浮かぶ小豆島は、400年以上つづく醤油づくりの町。香川県の醤油の生産量は全国5位で、その半数近くが小豆島で生産されています。そんな醤油づくりの文化が根付く小豆島では、昔ながらの「木桶仕込み」の醤油づくりが今も受け継がれています。

しかし、その小豆島の醤油づくりに欠かせない「木桶」が今、絶滅の危機に直面しています。
江戸時代までは、醤油だけでなく酒、みりん、味噌など発酵調味料は全て木桶で製造されていました。それが今ではプラスチックなどのタンクに替わり、職人の数が激減。木桶づくりの技術が失われつつあるのです。

そこで立ち上がったのが、全量木桶仕込みだけで醤油をつくる小豆島のヤマロク醤油の山本康夫さん。『木桶職人復活プロジェクト』を立ち上げ、醤油をつくりながら木桶の職人を増やす活動を始めました。

そして、その木桶で使用する木材を提供するのが、奈良県産の吉野杉です。
伝統を受け継ぐ醤油づくりと、日本最古の林業と言われる吉野林業が結びつき、木桶づくりを復活させる取り組みを行っています。

今回は、『木桶職人復活プロジェクト』について、ヤマロク醤油 五代目社長の山本康夫さんと、木桶の材料となる吉野杉を提供する、奈良県の吉野中央木材 専務取締役の石橋輝一さんにプロジェクトに対する想いや、吉野杉との関係について、お話を伺いました。

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

インタビュー:山本康夫(ヤマロク醤油 五代目社長)、石橋輝一(吉野中央木材 専務取締役)

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

山本康夫(ヤマロク醤油 五代目社長)

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

石橋輝一(吉野中央木材 専務取締役)

なぜ吉野杉なのか?プロジェクトと奈良の木・吉野杉の関わり

――まずは、山本さんが『木桶職人復活プロジェクト』を始めようと思った経緯から伺えますか?

山本康夫(以下、山本) かつて木桶は、リサイクルして使われていました。新桶が酒屋さんで酒樽として使われた後、職人の手で組み直されて醤油屋や味噌屋で使われるという、循環でできていたのです。それが、酒樽が新規でつくられることが減り、醤油屋も木桶を捨てて、プラスチックやステンレスのタンクに移行していきました。

うちでも、昔使っていた材を組み直して木桶をつくってもらっていたのですが、その材料もなくなってしまったため、2019年に新桶を発注しました。それが、その当時、日本で木桶をつくる最後の1社になっていた「藤井製桶所」でした。
その時言われた「醤油屋さんからの新桶発注は戦後初だよ」という言葉に衝撃を受けたのです。

よく話を聞いてみると、藤井製桶所さんは2020年には木桶づくりをやめるということでした。このまま木桶をつくる技術がなくなれば、木桶仕込みの醤油だけでなく、味噌やお酢やみりんも全部なくなってしまう。そこで、大工の友人たちと藤井製桶所に弟子入りして技術を学び、醤油づくりをしながら、木桶づくりを始めることにしました。

――『木桶職人復活プロジェクト』ではいつから吉野杉を使っているのでしょうか?

山本 最初に新桶をお願いした一本目から、それ以降もずっと吉野杉を使っています。それまでは、吉野杉が良いという感覚もなかったのですが、藤井製桶所の上芝さんから「吉野杉が良い」ということをずっと聞いていました。また、私の蔵で古くから使っている桶も吉野杉で作られているようです。古いもので、150年前の木桶も現役で使っています。

――最初の桶から吉野杉だったのですね。そこから今のような小豆島と吉野との関係はどのように始まったのでしょう?

山本 新桶ができた後、吉野にある吉野材を使ったメーカーの団体の事務局をしている磯崎さんが小豆島に訪れて、たまたま私の蔵の見学にいらっしゃいました。
その時に、「こんなに木桶があることころは初めて見た」と驚かれて、木桶の材は奈良の吉野から来ていて、2009年に吉野杉で新桶をつくったということお話したところ、「えー!」となったんです。(笑)その後、吉野の皆さんにも小豆島に来ていただき、吉野との交流が始まりました。

石橋輝一(以下、石橋) 実は、吉野でも2010年に吉野杉を使った木桶を復活させるプロジェクトが立ち上がり、吉野杉でつくった新桶で日本酒を醸造しました。私たちの方でも小豆島でそんな動きがあるとは知らなかったのですが、偶然に時期が重なりましたね。

吉野杉をPRするのに、他の産地ではできないような木の見せ方や使い方ができないかと考えたところ、吉野林業は江戸時代に酒樽に使われて発展したという歴史があり、もう一度、原点回帰でつくることができないかと始めました。その時に、新桶をお願いしたのが、山本さんの新桶をつくった藤井製桶所さんで、そこからつながるようになりました。

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

2年前に増築した仕込み用の「もろみ蔵」
吉野中央木材から仕入れた吉野杉・吉野檜を使用

――ヤマロク醤油さんは、木桶仕込みをつくり続けられていますが、木桶でつくる醤油は一般的な醤油と比べてどのように違うのでしょうか?

山本 醤油は発酵食品なので、微生物の発酵によってできていきます。木は多孔質なので、たくさんの発酵する菌が棲み着くことができます。工場でつくると、どうしても単一の菌を培養して添加したり、培養した数種類を添加したりという発酵の過程を踏むのですが、木桶でつくると菌の種類が数百種類にもなり、まだこの世に発見されていない菌もたくさん出てきます。

木でつくることによって、自然の生態系をつくることができるので、その蔵独特の味や香りになります。ワインと同じですね。海外の小さいブルワリーでは、樽で熟成することによって、そのブルワリー独自の味わいや香りになる。
日本でも、その地域ならではの味が発酵食文化の中でつくられてきました。
木桶仕込みでつくった醤油の蔵では、発酵学の本に書いてないことがたくさん起こります。そして、木桶の良さは、なぜか"美味しくなる”こと。なぜ美味しくなるのかは科学で解明されていないのですが、未知の世界が発酵によってできるロマンがあります。
そして、うまいのができるから面白い。これは木桶があるからです。

――その木桶づくりに欠かせないのが吉野杉なのですね。木桶に使う吉野杉にはどのような特徴があるのでしょうか?

石橋 木桶には、「これぞ吉野杉」と言われるようなものが一番ふさわしいです。それは、真円(しんえん 完全な円形のこと)に近い形をしていて、年輪の間隔が密で節が少なく、真っ直ぐな木であること。
吉野では、人工林としてそのような木をつくるために育林をしてきました。もちろん、山には良い木ばかりではないのですが、吉野では密植・多間伐という独特な育林方法を何百年も続けてきたおかげで、そのような木が発生する割合が非常に多いのが特徴です。

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

吉野杉 / 丸太の断面

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

吉野中央木材で作られる醤油の木桶仕込み用の木材

――吉野材の中でも、非常に優良な材を使うことが木桶づくりの条件なのですね?

石橋 その通りです。木桶に使われる材料は木材製品の中でも一番良い材料になります。

――石橋さんは、プロジェクトに参加してどのように感じられていますか?

石橋 木材を扱う人間にとって、木桶はとても面白いですね。私たちの仕事は大きな丸太を挽いて分解していくのですが、その分解の仕方で木材の品質が決まってくる。それが木桶の場合は、非常にはっきりとした結果が出てきます。
住宅の場合だと、木目が曲がっていたり、色が悪かったり、節があってもその家が潰れるということはまずありません。でも、木桶の場合は、木取りの仕方や木目の方向によっては中身が漏れてしまうリスクにつながります。

機械的に丸から四角をつくり、時間内に大量生産するということではなく、木を見て、「この木ならこの材ができるな」ということを考えながらつくりだすことが面白いですね。

――職人魂が燃えると言うことですね?

石橋 そういうことです!(笑)これまでも木目を気にしてきたのですが、それ以上に木を見て見分ける作業が重要になります。ただ製材して失敗しても捨てることはなく、住宅材にもなるので、無駄にせずに使っています。

――山本さんは、吉野杉を使っていることへの思いやこだわりはありますか?

山本 初めに、藤井製桶所でつくってもらった新桶が吉野杉だったので、私の中では吉野杉の木桶がスタンダードです。ただ、出来上がりを見て、大工の友人には「こんな杉は他にないよ」とよく言われましたね。(笑)
吉野杉で最初の一本目をつくり、その後も吉野の皆さんと出会って木の素晴らしさを感じるようになりました。
1本目をつくった後に、藤井製桶所さんに弟子入りして桶をつくる技術を学び、大工の友人たちと桶をつくるようになりましたが、いつも言うのは「木に助けられている」ということです。初めの頃は手探りで、今でも試行錯誤して、実験をしながらつくっていますが、常に吉野杉に助けられていると思っています。

――「吉野杉に助けられている」というのはどのような感覚として思うのでしょうか?

山本 削りの精度や加減がしっかりしないと、木桶はうまくつくることができません。十分に乾燥した木を使わせてもらっていて、完成をして水を張った時に、良い感じでプクッと膨れて漏れない。多少削りの精度が悪くても、吉野杉に助けてもらって漏れない桶になっているのを感じます。

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

木桶のカンナ掛け

2022.01.20

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

伝統産業は、たすきをつなぐこと。伝統的な醤油の製法と吉野杉が出会うことで生まれるものとは

――吉野林業という伝統産業が、醤油づくりの伝統産業と結びついたことについて、石橋さんはどう感じていますか?

石橋 木材が使われる場面は昔と比べて減っています。吉野杉でなければいけないもの、というのも減っているのが現状です。その点で、吉野杉は江戸時代の頃には酒樽に使われるようになり、吉野林業が発展していったので、木桶に使われることは吉野杉の良いところが引き出され、求められているものとフィットしていると感じます。
吉野杉の特性を最大に生かしながら、世の中に広げていける分野と一緒に仕事できることは嬉しいです。

木桶で使われる材は樹齢100年から150年のものです。そういうものが当たり前のように山にあり、それを使わせてもらえているということがありがたいことです。 先人たちの手で植えられて今まできちんと受け継いで木を育ててきたからこそ、ここで花が開くというのはとても良いことだと思っています。

また、木桶のように、付加価値の高いものに使われると、山に還るお金も多いので、その分林業も活性化します。それは今後も木桶に使われる材を育てることにつながります。その点でも意義があると感じています。

山本 伝統産業は、つながっていくものですよね。私がよく表現するのは「駅伝」です。 150年も前にご先祖さまが、良い桶をつくってくれたおかげで、今、醤油をつくることができる。そうやって昔の代にやっていたことが、次世代につながっていくものだと思っています。

私の場合は、醤油屋ですが、醤油をつくるのが仕事ではないと思っています。
醤油をはじめ、発酵調味料というのは、蔵の生態系に暮らす微生物たちの力によってつくられるもの。私はそれを少し手伝っているだけという感覚です。

駅伝と一緒で、たすきをつないでいくのが伝統産業で、私は前の世代からたすきを渡されたのです。箱根駅伝を見てもわかるように、前の世代から託されたたすきを次の世代にきちんと渡せないと悔しいですよね。ですから、次の世代に醤油の味を残すために、蔵と木桶と生態系を一緒に伝え続けること、それが私の仕事だと思っています。

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

新桶の底裏に6代目予定?の長男「康蔵」の手形をつける様子

小豆島から食の文化を発信する。そして次の世代につなげたいものとは

――今年の1月に開催するイベントの企画について教えていただけますか?

山本 最初は、木桶に関わる発酵調味料のメーカーに「みんなで新桶をつくりませんか」と呼びかけてイベントを始めました。年々、多くの方が参加するようになり、今ではメーカーだけでなく、飲食店や流通業者など様々な人が参加するようになりました。

桶づくりをしながら、食のスペシャリストの方に登壇してもらって、木桶と食にまつわる話をしてもらったり、木桶の展示会をしたり、海外のバイヤーとオンラインで木桶仕込みの発酵調味料の商談会を開催したりしています。今年は、海外のバイヤーと日本の輸出商社がその場に集い、醤油だけでなく、お酒や味噌やお酢を含めて味見をしてもらいながら、その場でメーカーの社長と商談をする、マッチングの場にしようと思っています。

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

木桶づくりの様子

――木桶職人復活プロジェクトが食のサミットになっているのですね。今後、このプロジェクトがどのように広がっていけば良いと考えていますか?

山本 イベントを始めた当初から、このプロジェクト全体を通して目指している目標があります。それは、木桶仕込みの醤油の国内シェアを1%から2%にするということ。そして、世界の1%を取りにいくということです。

といいますのも、地方の木桶仕込みの醤油屋さんは、基本的にほぼ地元が商圏。地元の人口が減って、市場がどんどん狭くなっています。その中で、後継がいなくて廃業する醤油屋さんがあると、その売り上げをみんなが取って、現状維持するというのが現状です。それでは、いつまで経っても需要が増えない。

日本の食文化は、世界からも注目されています。日本の美味しい醤油が欲しいという流れが来て、その後には、無添加の醤油が注目され、その後には、木桶仕込みの地方の特色ある醤油が欲しいという流れがくる。そうすると、地方の人口が減った市場から、100億の人口に広がります。

自分たちでつくりたい味や品質を追求して、それを世界のほんの一部の人がどうしても欲しいという状況になるだけで、今の生産量だけでは足りないくらいになります。地元の伝統的なつくり方をしている蔵元が残るためには、世界で認められるしかない。 私たちは、木桶仕込みの醤油の価値を伝えて、海外で売っている醤油の何倍もの値段で売れるようなブランディングをしていこうと思っています。
世界の1%になると、何千本もの新桶が必要になりますから、木桶職人の仕事が生まれ、木桶づくりの技術の継承にもつながります。

――それには吉野杉が欠かせないということですね?

山本 吉野杉は最高ですよ。他の産地の材でと言われたことはあるのですが、品質も全く違い、加工も大変です。実際きちんとつくっても漏れることもありますから。吉野杉が木桶をつくるのに一番適しています。

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い 木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

――石橋さんは、木桶職人復活プロジェクトに関わって今後どのように発展させていきたいのでしょうか?

石橋  私たちもこのプロジェクトを通して、次の世代に対して吉野の林業を伝えていく責任を実感しています。

これから私たちがしていかなければいけないのは、植林です。吉野杉をつくるために必要不可欠な林業の方法は、まず密植すること。均一な年輪を生むためには、他の産地で1ヘクタールに3000本から5000本植えるところを8000本から12000本植えなければいけません。
これまでは林業の衰退で、金額的にもそこまで密植を行えなかったという現実があります。
このプロジェクトに関わる多くの方々に、木桶仕込みの醤油をつくるために100年前に植えられた木が使われていること、木桶をつくるために必要なのは100年前に植えられた木であることを知ってもらい、これからもこの醤油の味を残すためには木桶に合う木をつくるための植林をしなければいけないということを広げていきたいと思っています。

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

吉野林業地帯の山

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

原木市場に並ぶ吉野材

――先人から受け継がれてきた長い歴史を持つ、木桶仕込みの醤油と奈良の木・吉野杉。ともに次の世代にも伝え続けないといけないということですね。

山本 100年も前に吉野で植林された杉が、うちで今新桶になって、100年後も使われているなんて、ロマンがありますよね。その植林をした人はもうこの世にはいない、そして100年後に桶が使われている時、桶をつくった我々もこの世にはいない。
みんな、自分たちが死んだ後のことを考えながら手を打っている。
この長いスパンというのは独特な日本人の考え方で、昔の人はそのように次の世代のことを考えていたと思います。

最近はどうしても目先の利益を追うことが多いような気がしますが、伝統産業をやっていると、目線が日本人の本来の気質に戻るような気がしますね。
醤油づくりは、私たちでは一つのサイクルに4年かかります。吉野杉は100年でひとサイクルですよね。ものづくりに時間がかかるので考える視点のサイクルも長くなる。

令和3年9月、登録無形民俗文化財の第一号に、小豆島を含めた香川県内の醤油醸造技術(「讃岐の醤油醸造技術」)が選ばれました。小豆島の醤油が文化財であり、私たちはこれを日本人の食文化として守っていかなければいけない。そのためには、木桶をつくり続けるために技術をオープンにしてみんなでシェアをしていく。今は、需要を増やしていくということと、職人を増やしていくことを同時進行でやっていかなければいけないと思っています。

それには、私だけがメディアに注目されてうちの醤油だけが売れるのではダメなんです。結局桶をつくる職人に仕事がないと、技術が残らないのでうちだけ売れたら負けなんです。

小さな市場で競い合うのではなくて、みんなでPRすることによって全国の木桶仕込みのメーカーさんが売れて、木桶の需要ができて、桶職人に仕事がある。新桶をつくる行為がなければ吉野杉を仕入れることができません。技術が残ることで、吉野杉の需要も増え、更に各メーカーさんの売り上げが上がります。また、消費者にとっても流通量が増えれば、本物の木桶仕込みの醤油を味わう機会が増える。みんながプラスになる仕組みをつくることが、我々の目指すべき目標です。

小豆島 木桶職人復活プロジェクト YouTubeより


日本人の食文化に欠かせない、醤油。小豆島の醤油づくりと奈良県の吉野林業という全く違う業種ですが、先人たちが続けてきたことを受け継ぎ、次の世代へたすきを渡したいという同じ思いを感じました。
かつての日本人が大切にしてきた精神。山本さんが言う「目先の利益にとらわれず、長いスパンで考えること」は、持続可能な社会に向けて私たちが取り組まなければいけないことを教えてくれる気がします。

伝統の味を受け継ぐ木桶仕込みの醤油の味。何百年も前に木を植えた人、木桶をつくった人、そして今、醤油をつくり続ける人の思いを感じながらぜひ味わってみてください。

INFORMATION

木桶職人復活プロジェクト

主催 ヤマロク醤油 株式会社
事務局 株式会社 伝統デザイン工房
*『木桶による発酵文化サミット』開催 2022年1月20日(木)〜1月22日(土)
URL https://kioke.pro/

INFORMATION

ヤマロク醤油

所在地 〒761-4411 香川県小豆郡小豆島町安田甲1607
電話番号 0879-82-0666
URL https://yama-roku.net/

INFORMATION

吉野中央木材

所在地 〒639-3118 奈良県吉野郡吉野町橋屋57
電話番号 0746-32-2181
URL http://www.homarewood.co.jp/

2022.01.20

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

2022.01.20

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

2022.01.20

木桶の文化を残したい。小豆島の醤油づくりと吉野杉が「木桶職人復活プロジェクト」にこめる想い

  • 1
  • 2
マガジン記事一覧
ページの先頭に戻る