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国宝・十一面観音菩薩立像をお祀りする聖林寺の観音堂がリニューアル!そこに吉野杉が使われた理由とは

2022.08.31

国宝・十一面観音菩薩立像をお祀りする聖林寺の観音堂がリニューアル!そこに吉野杉が使われた理由とは

奈良県桜井市にある古刹、聖林寺。天平彫刻の傑作の一つ、国宝の十一面観音菩薩立像がお祀りされていることでも知られています。ミロのヴィーナスとも比較されるほどの仏像彫刻で、「均整のとれた仏身、豊満なお顔立ちと優雅な表情、量感のある上半身、衣のひだの自然な流れ、微妙な変化をみせる指先」などと美しさを称えられ、アメリカの哲学者で東洋美術研究家アーネスト・フェノロサや写真家土門拳、随筆家の白州正子といった多くの文化人を魅了してきました。

その日本を代表する仏像を祀る「観音堂」が建てられたのは、昭和34(1959)年のこと。日本初の鉄筋コンクリート造りでしたが、老朽化し耐震基準が合わなくなったことから2021年5月から改修工事を開始。国・県・市の補助金や支援者からの寄付、さらにクラウドファンディングなど多くの方々の支えにより、2022年5月30日に落成、7月28日には落慶法要が行われました。

今回、設計を任された「栗生明+北川・上田総合計画」のお話も交えつつ、新しい観音堂を紹介します。

天平仏の傑作 聖林寺・十一面観音菩薩立像

聖林寺の十一面観音菩薩立像は、760年代(天平=奈良時代)に東大寺の造仏所で造られたとされています。その願主は、天武天皇の孫にあたる智努王とする説が有力で、大御輪寺に安置されていました。しかし、慶応4(1868)年、神仏分離令を受けて、大神神社の神宮寺の一つ大御輪寺のご本尊である十一面観音菩薩立像が聖林寺に移されました。昭和26(1951)年には現行の国宝制度における最初の国宝認定の一つに選ばれています。

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大和盆地を望む高台に建つ聖林寺からの景色

吉野杉をふんだんに使用した新たな「観音堂」

聖林寺の本堂からさらに階段を上った先にある観音堂。以前は、扉を開けると目の前に十一面観音菩薩立像が安置されていました。

新しい観音堂では、新たに前室が設けられました。ゆるやかな弧を描くようなベンチがあり、十一面観音菩薩とじっくり向き合うための「祈りの場」としてはもちろん、参拝者が多い時には待機場所としても活用されることが考えられています。ベンチや壁、階段には吉野杉が使われています。

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そして前室から少し見上げた位置に、高さ5.6メートルのドーム型空間があり、その中央奥に十一面観音菩薩立像が安置されています。壁には調湿性能を持つ左官材が塗られ、床は吉野杉です。この空間は、宇宙を象徴する天蓋を表現したそうです。

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前室から見た十一面観音菩薩立像

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吉野杉でできている床

そして、新しく仏像を安置するのは「硝子の御厨子」です。以前の観音堂では、正面からしかお参りできませんでしたが、今回新たに独立型免振装置付きのドイツ製ガラスケースが設置され、反射を抑えた透明度の高い高透過低反射ガラスにより、十一面観音菩薩立像との隔たりを感じずに360度拝観できるようになっています。また収蔵庫内は空調により温度管理がされており、ガラスケースは高気密でもあるためケース内の調湿材により一定の湿度に保たれています。

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2022.08.31

国宝・十一面観音菩薩立像をお祀りする聖林寺の観音堂がリニューアル!そこに吉野杉が使われた理由とは

新しい観音堂ができるまで - 構想から完成までを設計者にインタビュー

今回、観音堂改修の設計を任されたのが「栗生明+北川・上田総合計画」です。今回は、設計に関わられた栗生明氏と北川典義氏のお二人に、設計から完成に至るまでのエピソードをお伺いしました。

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新たな観音堂を設計した栗生明氏(写真右)と北川典義氏(写真左)

――設計する上で意識されたことや文化財収蔵庫と他の建築物との違いについてお聞かせいただけますか。

聖林寺の十一面観音菩薩(以下、御像)は、時代の移ろいの中でさまざまな人の尽力により現在まで守られてきました。過去からのバトンを関係者の皆様と受け止め、大切に受け継がれてきた御像を末永くお守りできるように、安全・安心な環境を整えることを最優先し設計しました。

また、御像の長期のご不在はお寺の負担も大きいと考えて、今回は、御像の入る収蔵庫は文化財に有害なアンモニアが生じる新築コンクリート造ではなく、既存のコンクリート造収蔵庫を耐震改修し、前室を新たにコンクリート造で増築する計画としました。

文化財収蔵庫と一般的な建築物は、要求される空気環境の水準が異なり、文化財を劣化させる要因となる酢酸、ギ酸、アンモニアといった汚染物質を取り除く必要があります。空調設備にケミカルフィルターを設置したり、使用する内装材の選定において汚染物質含有量を確認したりするなど注意が必要です。

そして、建築物全体の空気の流れも重要。観音堂では、御像の安置される場所が、最も気圧が高くなるように設計し、前室からの空気が流入しないようにしています。こうすることで、新築時、躯体のコンクリートから生じる文化財に有害な成分を抜くための「枯らし期間」を短縮し、各地の展覧会などを回られた御像が速やかにお戻りいただけるようにしました。

今回観音堂をリニューアルするにあたり、御像が大神神社の神宮寺である大御輪寺の本尊として安置されていた当時の双堂(ならびどう)形式を参照しました。当時の参拝者は、前堂の低い位置に立ち、後堂の御像を仰ぎ見ていたとされています。また、御像もやや前傾姿勢で伏し目がちな姿をしており、ちょうど前堂の参拝者と目が合うような関係になっていたそうです。そこで今回、前室を前堂、収蔵庫を後堂に見立てました。前室は収蔵庫より低い位置に床を設けているので、そこから収蔵庫の御像と向き合うと、まさに当時と同じ関係で拝んでいただくことができます。

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設計の際に使用したコンセプトダイアグラム

――実際に聖林寺を訪れてみて、当初のデザイン案から吉野杉を使うデザインへ変更したというお話を伺ったのですが、その理由は何だったのでしょうか。

観音堂は、文化財の収蔵庫であり、参拝者と十一面観音菩薩が向き合う「祈りの場」です。心安らかに御像と対面できる環境づくりのため、内装にあたたかみのある木材を使用することは当初から計画し、ご住職からも要望をいただいておりました。

工事が始まり、施工者の中尾組様も交えた具体的な材料選定の段階を迎えた折に、吉野の山林を視察する機会をいただきました。「密植」「多間伐」「長伐期」といった吉野杉の生育方法の特徴を地元の製材・小売業者様にご説明いただき、実際に目の当たりにすることで、節が少なく緻密な木目が現れる理由がよく理解できました。何より美しく、御像に寄り添う観音堂にふさわしい材料だと感じましたし、桜井で地場の吉野杉を使用することはとても自然なことだと思いました。

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――新しい観音堂で吉野杉が使われている箇所についてご説明いただけますか?

前室の壁とベンチに赤身材、収蔵庫の床に白太材の吉野杉を用いています。2つの部屋で材料を明確に使い分けることで、素材が引き立て合い、空間にメリハリをもたらし、参拝者の体験がより印象深くなるよう意図しました。

前室は観音堂の「外陣」として、御像と距離をおいた状態で参拝者が心落ち着かせる場所と位置付けています。濃い赤身の吉野杉の壁が薄暗い空間と調和しながら、収蔵庫にいらっしゃる十一面観音のお姿を額縁のように切り取ります。

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前室のベンチ(吉野杉の赤身材を使用)

収蔵庫は「内陣」と位置付けられ、外陣と対照的にやわらかい光に包まれた明るい空間です。床には白太の吉野杉のフローリングが敷かれています。今回の計画では参拝者は素足で拝観する想定であったことから、床材の足触りが参拝者の心にもたらす効果も大切であると考えました。

そもそも杉材は、他の木材に比べて文化財に有害な有機酸の揮発が少ない利点があります。文化財収蔵庫の「壁・天井」に用いられることが多い材料ですが、やわらかい性質のため「床」に用いるのは耐久性の面からも事例を知りません。しかし、吉野杉は白太材でも一般的な杉材に比べて年輪が非常に緻密で強度が優れていたため、収蔵庫の床材への使用が実現できました。

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収蔵庫の床(吉野杉の白太材を使用)

――今回吉野杉を使ってみていかがでしたか?吉野杉を使ったことで建物やデザインにどのような影響がありましたか?

吉野杉を使うのは今回が初めての経験でした。上品で美しい木目に魅力を感じます。吉野杉を各所に用いることで、空間がやさしい印象になり、品格が高まったように感じます。また、吉野杉と一口に言っても、赤身材と白太材、柾目と板目など、同じ樹種の中で空間の特性に応じて様々な使い分けを考えられることにも想像を膨らませられました。例えば、収蔵庫(内陣)は宇宙を表す天蓋に包まれた空間をイメージしたことから、柾目の白太材を小巾のフローリングとして用いることで抽象的な表現を目指しました。前室(外陣)は薄暗い中でも木の表情がはっきりと感じられるように、板目の赤身材を幅広で壁やベンチの背板に使っています。それほど大きくない空間で異なる色味の木材を共存させるのは、違和感が出て意匠的に難しい場合もあります。しかし、吉野杉の赤身材と白太材は、ちゃんと調和をしています。文化財にも参拝者にも、やさしい吉野杉のベンチや床の手触り、足触りをぜひ訪れて体感してみてください。

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――観音堂の外壁にも吉野杉の木目が浮き出て見えますね。このようなデザインにされた理由を教えていただけますか?

外壁をどのような仕上げにするかは難しい課題でした。塗装やタイル貼りなど様々な方法があり得る中で、やはり吉野杉と関連づける考えが自然と浮かびました。しかし、杉板をそのまま外壁に張ることはお寺のメンテナンスの負担が大きいと考えて、ある方法を思いつきました。それが、吉野杉の型枠にコンクリートを流すことでコンクリートに木目を転写する手法です。せっかくの吉野杉を型枠に使うのはなんとももったいない気もしましたが、吉野杉ならではの緻密で上品な木目は、コンクリートに転写されても、きっと生き生きと伝わるはずと信じていました。

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通常の拝観ルートでは目に触れづらい外観。車いすの方のスロープ奥を見るとわかりやすい

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前室の東側の曲面の壁は、吉野杉の型枠を縦方向に張り、繊細に波打つ「幕のような形状」とし、外界との結界を表現しました。吉野杉の型枠は、地面に近いほうが赤身材、上に向かうにつれて白太材の部分が多くなるように材料選定をして、実際に生育する吉野杉と同じになるようにしています。打放しコンクリートには、型枠の木目だけではなく、材料そのものの色味や木から生じるアクも映し出されるので、細かな点ですが吉野杉の素直な表情を伝えるために気を配りました。

外壁は「モックアップ」(原寸大のサンプル)を製作して施主、設計者、施工者が確認した上で施工されました。美しい仕上がりは、熟練の眼による材料の選別や、高い精度の型枠の製作、現場での一発勝負となるコンクリート打設など、施工者である中尾組様ほか関連業者の皆様の大変なご尽力・技術によって実現されたものです。この外壁、実は通常の拝観ルートでは目に触れづらいのですが……慈悲深い観音様のようにやわらかくあたたかい色味や表情をぜひご覧いただければと思います。

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繊細に波打つ「膜のような形状」の外壁

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――訪れる方々にどういったことを感じてほしい、見てほしいですか?

今回は独立免震展示ケース「硝子の厨子」の導入により、参拝者の方にも収蔵庫の中までお入りいただき、今まで見ることができなかった背面や、優雅な顔の表情、衣のひだの自然な流れ、柔らかく表情豊かな手、指の造形など、あらゆる細部を360度どこからでも、間近に拝観いただけるようになりました。

収蔵庫には既存の方形屋根に内接するように半球型の天井を設け、2メートル9センチの十一面観音を、ゆとりをもってお祀りできる十分な天井高が確保されます。この半球型の天井は宇宙を象徴する天蓋を表現したもので、十一面観音と参拝者がひとつに包み込まれるような新鮮な拝観・鑑賞の体験になるはずです。

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吉野杉のあたたかい空間の中、硝子の厨子に安置されている十一面観音菩薩立像。参拝者の方は、収蔵庫の中まで入り、今まで見ることができなかった背面など、あらゆる細部を360度どこからでも拝観できます。前室のベンチに座り、手を合わせていると、微笑みかけてくださるよう。何より美しくなった観音堂は、仏さまとの対話がより親密にできるように思えます。新たな観音堂に戻られた十一面観音菩薩立像の元へ訪れてみてはいかがでしょうか。

Profile

栗生明

千葉県生まれ。千葉大学工学部デザイン工学科建築系名誉教授。時代のニーズを捉えて、コラボレーション(協同)作業を大切に設計。「平等院鳳翔館」では、日本芸術院賞・グッドデザイン賞・日本建築学会賞作品選奨・BCS賞。「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」では、第19回村野藤吾賞・日本建築学会賞作品選奨・BCS賞など、多くの受賞建築を持つ。

北川 典義

兵庫県生まれ。福井大学大学院を修了後、(株)栗生総合計画事務所へ入社。2014年より副所長を務め、2022年代表取締役に就任。「伊勢神宮せんぐう館」「奈良国立博物館 なら仏像館展示室改修」などの博物館・文化財関連施設などを手がける。

「栗生明+北川・上田総合計画」:http://kuryu.com/top_J.html

INFORMATION

聖林寺

住所

〒633-0042 奈良県桜井市下692

電話

0744-43-0005

URL https://www.shorinji-temple.jp/

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