奈良の木の文化を世界へ。国内外で活躍するクリエイターたちが生み出した大阪・関西万博「奈良の木 茶室」
そして、緑が映える芝生の広場でひときわ目立っていたのが、吉野杉を使用した茶室です。この茶室は国内外で活動する6人の日本人クリエイターの共同作業により完成しました。今回、そのメンバーのなかから、茶室の設計を担当した、フランスを拠点に活動する建築家・岡部太郎さん、スイスを拠点とする建築家・古代裕一さん、そして、製作を担当した『studio jig』の平井健太さんにお話をお伺いしました。日本人クリエイターたちの国境を越えたコラボレーションにより、万博の舞台でかたちとなった茶室のみどころに加え、この茶室に使用された“吉野材の魅力”について迫ります。
吉野杉の魅力が凝縮した移動式奈良の木茶室『寧楽庵(ねいらくあん)』
大阪関西万博の会場内には、世界各国や日本企業のパビリオンが数多く立ち並び、それぞれの国の文化や歴史、最先端の技術を伝え、この世界が多様な文化で彩られていることが実感されます。
また、世界最大の木造建築物としてギネス世界記録に認定された、「大屋根リング」は圧倒的なスケール。来場者は、祝祭のような非日常の世界へと誘われます。




そして、『ALL NARA FESTIVAL』の会場となったEXPOアリーナ『Matsuri』では、奈良県の工芸、農産物、食材、地酒、そして木製品にいたるまで、奈良県の豊かな風土で育まれてきた名産品を扱う約50の店舗が出展しました。




多くの来場者で賑わう会場内を進んでいくと、木目の美しい建物が。今回のイベントのために特別に造られた移動式茶室『寧楽庵(ねいらくあん)』です。
『ALL NARA FESTIVAL』の会期中は、この茶室で大和茶の生産者と日本茶インストラクターによる大和茶の煎茶体験ワークショップが開催されました。

茶室と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、屋内の和室空間で、作法に則ってお茶をいただく、どこかかしこまった印象かもしれません。しかし、この茶室では、自然の光と風の心地よさを感じながら、木のぬくもりや吉野杉の芳醇な香りに包まれて大和茶の味を愉しめます。


奈良の木の文化を世界へ。国内外で活躍するクリエイターたちが生み出した大阪・関西万博「奈良の木 茶室」
海外で吉野材の魅力を伝える二人の建築家の想い
奈良の木の茶室『寧楽庵』の特徴は、吉野杉の薄い板が一枚一枚、同じ角度にねじられ、等間隔に配置されて空間を構成していること。吉野杉特有のまっすぐな木目が現れた板は、手で触れてみたくなるほどの美しさ。「これまで見たことのない茶室」―そんな印象を与えるこの斬新なデザインは、どのようにして生まれたのでしょうか。海外を拠点に活躍する2人の建築家、岡部太郎さんと古代雄一さんにお話を伺いました。
―今回、おふたりでどのような対話やプロセスを経て、茶室のイメージが生まれていったのでしょうか?
岡部さん:茶室にはさまざまな形式があり、ミニマムなものでは、地面に線を引くだけでも、外界と区切られた結界のような空間をつくり出すことで「茶室」が成立します。今回はとくに、万博会場という多くの人が行き交う賑やかな場所で、どのような茶室を制作するのかが大きな問題でした。また、イベント終了後も組み立てて使用できるよう、なるべく簡易な部材で構成されつつ、茶室としての空間の性質を成立させるためにどうしたら良いかということも考えました。
そこで、まず古代さんから提案されたのが奈良県産材である吉野杉の綺麗さが分かるように木材を薄くスライスした素材の突板(つきいた)を使用することでした。奈良の木、とくに吉野杉はまっすぐな柾目(まさめ)が美しく、木そのものの素材の魅力を一番よく表現できるのが突板だからです。そこから、「茶室」という既存の固定概念にとらわれないようにしながら、どのように突板で表現できるのかをスタディしていきました。
万博会場の雑踏のなかでは、外界の音を完全に遮断することはできない。だったら、視覚をコントロールして、茶室として求められる機能を表現できる仕掛けを作ってみようと考えました。突板をねじって配置することで、立っている人の視線は隙間を通り抜けますが、茶室のなかに座ると、板が自分と平行に並び、視界が遮られ、外界から守られているような状態になります。



―建築家のおふたりがコラボレーションして一つのものをつくるというのも、面白い取組みのように感じました。その点についてはいかがですか?
古代さん:僕たちは、吉野材を広めていくという共通の志のもと、「YOSHINO WOOD」というチームとして、吉野材の海外での認知の向上やブランドの確立に向けた活動を2020年頃から続けています。奈良県とも連携しながら、「海外からどのように奈良県産材に貢献できるか」ということに取り組んでいます。そのような流れのなかで、今回のお話もいただけたのではないかと思っています。
―「YOSHINO WOOD」として活動されるようになった経緯をうかがえますか?
岡部さん:「YOSHINO WOOD」は、国内で輸出業を手がけているICHI株式会社の山中耕二郎さんをチームリーダーに、僕と古代さん、そして、スウェーデン在住の大学研究者の後藤豊さんの4人で活動しています。
奈良県の吉野地域は、世界でも最も古いサステナブルな林業を営んできた地であり、なおかつ、500年の林業のノウハウが蓄積されて非常に高品質な木を生産し続けています。人工林は天然林に比べ、品質が劣るとされがちですが、吉野地域では、天然林の木にも負けないほどの良質な木を生産しています。
しかし、今では、日本人が日本家屋に住むこともなくなり、和室や茶室の需要も減少していく状況で、日本の誇るべき森林資源である吉野杉・吉野桧という高品質な木がどんどん売れにくくなっている。日本の社会からその価値が忘れられ、市場も縮小していくなか、「海外に売ってみてはどうか」と考えたのが山中さんでした。
最初は「とんでもないことだ」と思いました(笑)。「木はどこにでもあるものだし、わざわざ日本という極東から欧州に運ぶなんて」と。
しかも、僕らが拠点を置く欧州では、硬くて重いハードウッド(広葉樹)が好まれ、高級材とされています。日本の杉や桧のように柔らかくて色も明るく、軽い木材であるソフトウッド(針葉樹)は真逆の存在。「そんな木をいったいどうやって売るんだ」と思ったところから、やがて「これは挑戦だな」と思うようになりました。僕らは、ふだんは建築家として仕事をしているのですが、「YOSHINO WOOD」チームとして、日本の宝である吉野林業をどうやって海外の人に伝えていくかを意識して活動しています。

YOSHINO WOODチームメンバー: 左から後藤さん、山中さん、岡部さん、古代さん
古代さん:最終的に僕たちが目指しているのは、植林を行い、品質の良い吉野材が恒久的に供給できるようになること。それには、やはり多くの量を使ってもらわなければいけない。家具や工芸品も、もちろん素晴らしいけれど、どうしても使われる木材の量も限られてしまいます。現在、ノルウェーの個人宅の構造材・仕上げ材に吉野材を使用する案件を進めています。そのように丸太を大量に使ってもらえれば、それが新たな植林にもつながる。そうでなければ、僕たちが活動している意味がなくなってしまうと思うんです。吉野林業を、次の、その次の世代にまでつなげていくためには、やはり木材の「量」を出していきたい。
ただ、その一方で吉野材が家具として使われることも重要で、一つ一つの材の特徴がしっかりと見えるので、質の良さが伝わりやすいものです。その両方の価値をしっかりと伝えていくことが大切ですね。
奈良の木の文化を世界へ。国内外で活躍するクリエイターたちが生み出した大阪・関西万博「奈良の木 茶室」
ストーリーと工学的視点、実物を見せることで魅せる吉野材
―「植林」ということを見据えて、吉野材を広げる活動を海外で展開されているとは驚きました。
岡部さん:「植林」は非常に大事な作業で、木を伐って使うことで次の植林につながり、環境負荷も抑えられます。では、木を伐って、遠方に運んだとして、一本の丸太を運ぶのにどれくらいCO2を排出するのか。そういったこともきちんと説明できるように、僕らで計算してみました。例えば、丸太一本をフランスに運ぶ場合、トラック、船、またトラックを経由して、全体で約100kgのCO2を排出します。一方、丸太そのものは、500〜600kgの炭素を固定していると言われます。つまり、100kgの排出に対して、600kgの炭素を固定している。さらに、伐採した後には新しい木を植えるわけですから、その木がまたCO2を吸収してくれる。立木は、1年間に約100kgのCO2を吸収しています。この循環を守れば、たとえ丸太を輸送するなかでCO2の排出があったとしても、環境的には確実にプラスになるんです。
ですから、歴史や文化的な視点を伝えると同時に、こうした工学的な視点からもきちんと木材の活用意義を説明することが大切だと思っています。その二つの点を伝えると、みなさん、本当に吉野材に魅了されるんですよ。「素晴らしいじゃないか!なんで今まで知らなかったんだ」と驚かれます。これは、吉野材が持っているポテンシャルがものすごく高いということ。これだけポテンシャルがあるのに、吉野材の価値が海外で広がってこなかったことに驚きはあるのですが、それを今、僕らが開拓していっているという喜びはありますね。
―実際、海外の方はどのようなところに吉野材の魅力を感じているのでしょうか?
古代さん:ちょうど昨日、僕が設計し、スイスの大工さんが製作を出掛けた吉野桧のキッチンカウンターのお披露目会がありました。日本から長さ4m、厚みが10センチの材を現地に送り、その方に実際に吉野桧を使ってみた感想を聞いてみたところ、「こんなに扱いやすい木はこれまで見たことがない」と感激していました。その方の工房には、30〜40人ほどの職人がいるのですが、全員が口を揃えて、「肌触り、香り、全てにおいてこんな木は見たことない」と言ってくれていたそうです。とくに感心していたのが、切っても割れず、柔らかく、加工しやすいという点。現地では、一般的に、木材の表面を上下1センチほど鉋で削るのですが、吉野材は形状の安定性が優れているため、乾燥などによる捻じれや収縮が起きにくく、修正のための削りが少なくて済みます。4ミリ削るだけで十分だったそうです。それだけ品質が安定しているため、無駄が出ない。また、オークのような硬い木材は加工中に脂で手が真っ黒になるのに対し、吉野桧は作業していても手が汚れにくい。そのため、作業効率も良かったとのことでした。
また、ロンドンのアートギャラリーの天井にも吉野桧が格子状に積み重ねる形で使われています。一般的な材では歪みが出て木目が揃わず、このように使用することはできません。でも、吉野材はまっすぐな木目が美しく出ていて、年月が経っても変化がない。その精度の高さに、木の性質を知っている人は「どうやったの?」と驚かれると思います。
ただ、こうした木の良さというのは、きちんと「目利き」ができる人でなければ、「この木はこの用途に対してすごく良い」とか「悪い」ということが言えません。木材でも「このようなことに活用できる」ということを示すことができなければ、アルミや鉄など、経年変化の少ない工業的な製品に代わってしまいます。安定した材料として使えるのは、吉野材が唯一無二のものであると感じていて、そうした価値の高いものを後世に残していくことが大切なことかと思いますね。
岡部さん:吉野材をブランドとしてとらえると、「和牛」と近いものがあると感じています。牛肉は世界中どこでも手に入るのに、わざわざ「和牛」を海外から高額で取り寄せる人たちがいる。そういう市場をどう開拓していくか、その戦略を考えることはとても面白いです。
僕らが最初に取り組んだのは、展示会で吉野材のサンプルを紹介する方法ではなくて、吉野材でしか表現できない美しさを、オブジェとして見せることでした。そこで、一本の吉野桧の丸太から削り出した、長さ7mのカウンターをつくり、当時注目されていたパリの日本食レストラン「OGATA Paris」で展示させてもらい、デザイナーや建築家、メディア関係者を招いてイベントを開きました。
吉野材の特徴であるまっすぐな木目で、7mもあるのに節がまったくない。節がないというのは、きちんと枝打ちされている証拠で、木を植えてから長い年月、手をかけて育てられた吉野地域ならではの特別な材です。その後、吉野材を良いと感じてもらえた方から少しずつ声がかかり、活動が広がっていきました。どのように木を伝えるか、見せ方次第でその価値が大きく変わる。有効的にPRを行うことも重要だと感じています。

©Nicolas Grosmond

©Nicolas Grosmond

―これからのおふたりの活動について、目標やビジョンをお聞かせいただけますか?
岡部さん:これまでは、海外で吉野材を使っていただくお客様のほとんどが親日家の方で「日本的なもの」を求められることがほとんどだったのですが、これからは日本に行ったことのない人にも吉野材の魅力を伝えられたら良いなと思っています。それがこれからのわたしたちのチャレンジですね。
古代さん:僕は京都出身なのですが、京都伝統工芸品である仏壇・仏具などには、奈良県産材が使われています。品質が担保できないと、そのように伝統工芸品の材料として使われることはありません。だからこそ、日本の伝統を守る意味でも、自分が生きているなかで、吉野林業をいかに維持していくか。次の世代が吉野材を活用できるようにしたいと思っています。
奈良の木の文化を世界へ。国内外で活躍するクリエイターたちが生み出した大阪・関西万博「奈良の木 茶室」
特殊な曲木の技術を叶えられる素材が、吉野地域にはある
遠く離れた海外から、吉野材への深い想いを持つ建築家たちによって設計された茶室。そのイメージを形にしたのは、奈良県川上村で活動する木工作家の平井健太さん。平井さんは、第4回日本和文化グランプリに表彰されるなど、吉野材の特徴を生かした美しい造形の家具を生み出しています。吉野材の魅力を引き出す造形を追求する平井さんは、今回、茶室の制作にどのように向き合ったのでしょうか。

―普段は家具を中心に制作されている平井さんですが、どのような想いで今回の茶室の制作に向き合われましたか?
まず、設計者が思い描かく茶室のイメージを崩さないことを心がけました。そのため、細部に至るまで設計者に確認しながら制作を進めていきました。普段はおもに家具の制作に取り組んでいるので、このような茶室の設計アイデアは自分では生まれないものです。
ひとつひとつはシンプルな曲木(まげき)の集合体なのですが、それを規則的に配置することによって全く見え方が違う。一つの部材からは想像できないのですが、複数が組み合わさることで表現できる幅が広がることを学ばせてもらい、非常に良い経験をさせていただきました。


一枚の板ではなく、1.5mm程の薄い板が7枚組み合わさってできている。
部材の上部と下部のフラットな部分は型を使って加工していますが、中間の曲げ部分は型を使用せずに手で曲げているため、完全に同じものはありません。人の手が加わることで微妙な違いが生まれ、それぞれが個性を持ちます。一本一本は異なっていても、集まることでひとつの風景となり、まるで吉野の森を見ているような感覚がありました。
―茶室が曲げた突板で構成されていることで、吉野杉の美しい木目がよく分かり、とても印象的です。こうした技術や作風は、どのように生まれたのでしょうか?
私はアイルランドで木工を学んでいた頃、木材を三次曲線に曲げる「Free Form Lamination」という技術を習得しました。ただ正直、帰国してからその技術を活かして作品を制作することは難しいだろうと思っていたんです。というのも、アイルランドで曲木の材料に使われていた木材は主に広葉樹で、突板に加工できるほどの品質を持った広葉樹はかなり希少なもので、高価なものです。そのため、身に付けた技術を活用できる材料が日本では手に入らない、たとえ活用できても部分的だろうと考えていました。それが、吉野地域に来てみたら、人工林で育てられた吉野杉が、突板に加工するのに理想的な品質を持っていて、しかもそれが安定供給されていることに驚きました。曲木にこんなに適した材料が山積みになっている光景を見て、「これならできる」と感じました。

―まさに吉野杉だからこそできた表現なのですね。
そうですね。100年以上人が育て続けた木だから、そのクオリテイが保たれているというのが、吉野材のすごいところだと思います。
―今後やっていきたいことや挑戦していきたいことはありますか?
今回の茶室の制作のように、他の方とのコラボレーションは、今後もどんどん挑戦していきたいと思います。「早くいきたければ1人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」という言葉がありますが、誰かとコラボレーションすることで、自分1人では表現できない、新たな世界を見られるような気がします。ただ、それと同時に、自分1人でどこまで行けるかということにも挑戦していきたいですね。海外のコンペにも参加するなど、世界でも挑戦していけたら良いなと思っています。
奈良の木の魅力を世界へ、そして未来へつなぐ
「大阪関西万博」という世界で大きな注目を集める舞台で、吉野杉でしか実現できない新しい茶室の形が生まれました。その製作の背景には、吉野地域で代々受け継がれてきた育成方法で、山を守り育ててきた人々に対する作り手たちの敬意が込められています。
そしてそのような奈良の木に魅せられたクリエイターたちの活動を通して、海外の市場でも奈良の木は注目されはじめています。―『木の魅力を伝え、未来につなぐこと』。ひとりでも多くの人が木の魅力を実感することが、未来の森を育む力へつながっていくのかもしれません。
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